食文化と落語

◆第十一回◆ 豆編

キンレイ心染プロジェクトが始動した2014年からご意見番としてお力添えくださっていた山本進先生が、2022年11月4日ご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
※本稿は生前、山本進先生にご取材した内容を一部編集・編纂しております。

 

桂文楽の『明烏』を聴くと甘納豆が食べたくなる

―― 今日は豆と落語について先生にお伺いしたく、よろしくお願いいたします。豆も『豆屋』や『みそ豆』など、落語によく登場する食べ物だと思うんですが。

先生 うん。豆はそれこそ昔からよく食べられていた身近な食べ物だったでしょうから、落語に登場してもなんら不思議ではないですね。僕は豆を食べるような落語に出てくると、食べ方に気がいっちゃうんだよね。あの食べる仕草にね。とくに黒門町の文楽さん※なんて名手なんかは、『明烏』で源兵衛が甘納豆を食うと、仲入りでもって甘納豆が売り切れたっていう有名な話があります。僕も文楽さんの『明烏』は何回も見ていますけど、最後まで、あの甘納豆が大納言なのか小豆なのか、どの豆を使ったものかわからなかった。大納言のように見えるんだけどね。源兵衛が「朝の甘味は乙でげすよ」ってつぶやきながら食べるところの場面なんかは、本当に舌の上で大きな平べったい甘納豆、おたふく豆みたいのが口の中でもって、つぶれていくのが見ていてわかるような感じだった。なんとも美味しそうに食べて。それで、最後にぱっぱって、手についた砂糖を払うあたりが実に真に迫る仕草でして。この一連の場面が我々観客に「ああ、甘納豆を食いたいなぁ」と思わせるんですね。その当時、『明烏』は他の人(落語家)がみんな遠慮しちゃってやらなかったからね。違う人が『明烏』をやると「場違いだ」って言われていたみたいだし。

※八代目 桂文楽
明治25年(1892年)~昭和46年(1971年)。住んでいた町名から「黒門町の師匠」と呼ばれていた。持ちネタは少なかったが、練りに練った口演で名人と称された。昭和29年(1954年)、落語家として初めて芸術祭賞を受賞。
引用元:山本進 著「落語」

――人間国宝の柳家小さん師匠(五代目)が、『時そば』をやった後は近くの蕎麦屋が満席になったという逸話を聞いたこともあるので、落語が観客にもたらす想像力と落語家の方々の技法には改めて目を見張るものがありますね。文楽師匠の『馬のす』に登場する枝豆の場合はどうでしょう。

先生 ある釣り好きの男が釣りに出かけたんだけど、テグス(釣り糸)がダメになっちゃったんで、通りにつないである馬の尻尾の毛を釣り糸の代わりに抜くんだよね。そこへ友達の勝公がやってきて、

「馬の尻尾の毛を抜くと大変なことになる!」

と、言うんで「どういうことになるんだ」と男が聞いても、勝公は「酒を飲ませないと教えない!」なんて言うから、仕方なく男が勝公を家に連れてきて、酒を飲ませても勝公は「最近は電車が込むね」なんて全然関係のないことを言いながら、なかなか教えない。文楽さんが演じる勝公が、酒の肴に用意してもらった、お皿の上に盛ってある枝豆を、ひと房に何粒入っているかどうかをしっかり観客に見せて、

「豆がまた乙だね。この豆ってのは中々難しいんだよ。塩加減がなんとも難しいんだよ。」

なんてことを言って、なんとも旨そうに食べるんだ。それでもって、勝公がぶがぶと飲み干した後に

「お酒はおしまい!枝豆もおしまい!」

と、食べ終わった枝豆の殻を寄せてね。この「枝豆もおしまい!」とやるところがいかにも「枝豆を食べたいなぁ」って聴いている人に思わせるんだ。

豆は生活に根付いた食材

――山本先生のお話しを聞いているだけで我々も枝豆を食べたくなります。お話しいただいているように、やはり豆は落語によく出てきますが、江戸の庶民にとって身近な料理だったのでしょうか?

先生 それはそうだったでしょう。豆といえばひじきと一緒に煮たり、みそ豆※があったり、その昔の奉公先で定番のおかずですからね。ひじきと豆っていうのは理にかなっているんだよね。栄養学的にも大変良いはずだよ。それを江戸の人たちは学問じゃないけど、日々の生活を通して身体で知っていたんだよね。それに、当時は米の白いご飯っていうものが、とにかくごちそうだったわけから、米の代わりに豆とか割合に手に入りやすいものでかさましとか、代用していただろうしね。精米の技術も今ほどじゃないかいから、米を搗いて薄皮をはがして精米をすると真っ白いご飯になるわけだけど、田舎じゃそんなことしないわけだよね。都会でも一部の人しか白いご飯は食べられなかったんじゃないかな。

――落語『みそ豆』に登場するあの豆は味噌を作る過程にできるものなのでしょうか?

先生 うん。あれは味噌を作る過程でできる煮豆だというように聞いているけど。豆に味噌で味を付けてそれをみそ豆というのではないように聞きますね。お湯で炊いたような豆で、灰汁をとってうっすらと塩味かなんかが付いているイメージですね。

――落語『みそ豆』ではご隠居と定吉がみそ豆をこそっと食べていましたがメインの料理にはならないのでしょうか?

先生 まぁ、あれがメインの料理になることはないでしょうね。さっき言ったひじきと豆のように抱き合わせて作っていたんでしょうからね。家によっては豆だけなところもあったかもしれないけど。
※みそ豆:味噌を仕込むために柔らかく煮た大豆の事を「みそ豆」と呼ぶ

先生 それから『厄払い』に出てくる大豆の煎り豆ね。節分の時なんかは福豆って呼んだりもすると思うんだけど、あれは厄払いの慣習でもって祝言を上げにいくと、お金と福豆をもらえるんだよね。『厄払い』では、例によってぶらぶら暮らしている与太郎に伯父さんが大晦日の厄払い※をやらせようとするんだよね。それで厄払いの祝言の、

「あらめでたいなめでたいな、今晩こよいのご祝儀に、めでたきことにて払おうなら、まず一夜あければ元朝(がんちょう)の、門に松竹、注連飾(しめかざり)、床に橙(だいだい)、鏡餅(かがみもち)、蓬莱山(ほうらいさん)に舞い遊ぶ、鶴は千年、亀は万年、東方朔(とうほうさく)は八千歳(はっせんざい)、浦島太郎は三千年、三浦の大助(おおすけ)百六ツ、この三長年(さんちょうねん)が集まりて、酒盛りをいたす折からに、悪魔外道が飛んで出で、さまたげなさんとするところ、この厄払いがかいつかみ、西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山(しゅみせん)の方へ、さらアりさらり」

って教えるんだけど、覚えないから仮名書きにして渡して出かけさせて。与太郎の方は祝言の後にもらえる祝儀と煎り豆三、四粒入っているのがもらえのが嬉しいんだよね。「おひねりおひねり」と言って「豆が約束通り入ってらぁ」って豆を食うんですけど、これも文楽さんのを観ていて「良い豆だなぁ」と思うんだね。黒門町の師匠はとにかく仕草が上手い人でしたからね。他の落語で煙管を喫む(吸う)様なんかは本当に目の前の煙管が見えましたしね。ただ、あの方は当時、手ぬぐいじゃなくて麻の白いハンカチを使っていたんだよね、あれはどういう意図があって、ああしていたのか、よくわからなかったけども。
※厄払い:大晦日や節分の夜、市中を回り、戸毎に厄払いの祝言を唱えて銭や福豆をもらうもの。

先生と豆の思い出

――落語『豆屋』における豆の運び方ですが、天秤棒の前後にざるを掛けて運んでいたと思うのですが、どういう風に豆を運んでいたのでしょうか?バラバラとこぼれてしまうのでは?と思うのですが。

先生 天秤棒にざるがあって、豆以外にも菜っ葉でもネギでもホウレンソウでもなんでも載っける。それは民族博物館なんかでみることができますよ。平ったくて目がわりに粗くて。

――長屋の住民が豆を売りに来た与太郎に「手を突っ込んでみろ!」とやらせるので深い入れ物に入れているのかと思っていました。

先生 そうでもないと思います。ざるに豆を山盛りにして担いでいる訳だから。山盛りに持っていても崩れたり、こぼれたりしない工夫があったんだろうね。

――そう考えると、当時の商人はどの商品を売るにしても、バランス感覚がよかったのでしょうか?

先生 そりゃそうでしょう、毎日の仕事ですから。前の荷と後ろの荷の重さを均等にして、こぼれないように運ばないといけませんから、足腰がしっかりしていないと立派な商いはできなかったと思います。ただ、荷の上に何もないとそれはこぼれてしまいますから、上から油紙なんかはかけていたかもしれません。雨でも濡れないように。まぁ、天秤棒で売ってくるというのは、もう僕らの時代には無かったね。

――先生の子供の頃は豆の専門店のような店がありましたか?

先生 それはあったと思いますよ。豆の専門店はあったと思う。麻布にあるいろんな豆菓子を売っている「豆源」は今でもありますが、あれは色んな味の種類を出すことで成功したんしょうね。

――当時も色とりどりの味があったんですか

先生 唐辛子まぶしたりね、それはお店もいろいろ工夫したと思いますよ。ただの豆じゃしょうがない。よそと競争できないから、いろいろ試したんでしょう。

――それはおかずとしての豆じゃなくてお菓子とてのお豆ですよね

先生 まぁそうね、でもおかずとしてもひじきとお豆っていうのはつきものだからね

――以前カボチャについて聞いた時は、代用食だったというお話がありましたが、豆も代用食として使われていたんでしょうか?

先生 豆もそうですよ。豆どころか、僕らの世代は豆粕で育ったんだ。あの豆粕っていうのをどう作るのかっていうと豆から一遍、油を取るんだろうな。絞っちゃうわけよ。それでできたガサガサにした絞り粕が配給になるわけ。それが豆粕ですよ。今思い返すとその豆粕を少ない米とかと混ぜてかさましして主食のかわりにする使い方をしていたんだろうね。

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