食文化と落語

◆第二回◆ 鍋焼きうどん編

 これから一気に寒くなり、「鍋焼きうどん」の美味しい季節が到来します。鍋焼きうどんとは、うどん・だし・具材を土鍋でグツグツ煮込んだものをいいます。体を芯から温めてくれるだけでなく、だしの旨みが《心と身体に染みる料理》のひとつでもあります。発祥は上方(大阪)で、その後江戸時代後期ごろに江戸(東京)に伝わり庶民の間で流行したと言われています。「鍋焼きうどん」がメインで登場する落語には、上方の『風邪うどん』と、それを三代目柳家小さんが東京に移し変えた『うどん屋』という二つの噺があります。『うどん屋』『風邪うどん』に登場する「鍋焼きうどん」などを基に、当時の江戸と上方におけるうどん文化について解説します。

第一題 寒い夜に響きわたる売り声

うどん

”なーべーやーきーうどーん…”

「冬の売り声の代表はうどん屋です。真冬、真夜中、遠くの方からうどん屋さんの声が聞こえてきますと、どこか寂しいような、悲しいような、そしてどっかあったかいような、なんともいえない気持ちになったそうです」と、桂枝雀の『風邪うどん』にそんな台詞があります。売り声は、今では落語の中でしか聴けなくなった文化の一つですが、それを聞くと、寒空に売り声の響く夜の情景が、なんとなく思い浮かんできます。

 夜、屋台で商ううどん屋を総称して、夜鳴きうどんと呼び、往来の人が一時の暖を取るのにありがたい存在でした。「土鍋でアッツアツに煮た鍋焼きうどんを、フウフウ吹きながら食べる」、寒さが身に染みる冬場の醍醐味です。だしを注ぐだけのかけうどんとは異なり、鍋焼きうどんは具材の旨みが麺とだしに染みこんだ、種ものの王様です。私が子どもの頃も、やはり鍋焼きうどんっていうと、うどん屋のメニューの中で一番上等な食べ物でしたね。

用語解説
●夜鳴きうどん・・・夜に売り声をあげながら売り歩く、屋台うどんのこと。
●種もの・・・だし汁をかけたうどんや蕎麦の上に、様々な具材をのせたもの。「しっぽく」「花まき」「玉子とじ」「天ぷら」「鍋焼きうどん」などがある。

 

第二題 お品書きを読み解く

だしを注いだだけを「かけ」といい、上に具をあしらったものを「種もの」と呼びます。落語の中でうどんや蕎麦とだけ言ったら、大抵の場合はかけのことを指しますが、そのほかに、しっぽく、花巻きなんていう種ものがありました。江戸時代後期の三都(江戸・大阪・京都)の暮らしの様子を綴った『守貞謾稿』という風俗誌に、江戸と上方のお品書きが紹介されており、今や見かけなくなってしまったメニューも多くあります。

 江戸では「そば16文」、続いて「あんかけうどん16文」「あられ24文」「天ぷら32」「花まき24文」「しっぽく24文」「玉子とじ32文」と書いてあります。あられとは、煮付けた小粒の貝柱をのせたものです。花まきは、細く刻んだもみ海苔を散らしたもので、名前の由来は、浅草海苔を磯の花に例えたことからきています。しっぽくとは、長崎の郷土料理に卓袱料理という同一の呼び名があり、それが名前の基になっているのかもしれません。蒲鉾や卵、椎茸など様々な具材がのったものをいいます。

 上方では「うどん16文」、続いて「そば16文」「しっぽく24文」「あんぺい24文」「けいらん32文」「小田巻36文」と書いてあります。あんぺいとは、江戸でいうはんぺんのことです。けいらんとは生卵をのせたもので、小田巻とは茶碗蒸しのようなものをいいます。うどんか蕎麦、どちらに具材をのせるかは選択することができました。ちなみに具材をのせるうどんとか蕎麦を、種ものの台と呼んだりします。お品書きに江戸では蕎麦が先に、上方ではうどんが先に書かれていることは、東西でどちらが主流であったかを示しているように思われます。

 当時、食料や日用品など様々なものの値段が町奉行所によって統制されており、うどんや蕎麦に関しては「かけ=16文」と厳しく決められていました。うどんや蕎麦は庶民の暮らしに欠かせない食べもので、値段の変動は家計に直結するために守られていたのでしょう。飢饉などで物価の変動が激しい中、「お代16文」を守るために、うどん屋さんは麺の分量を変えたり、具材を工夫して、やりくりには苦労していたのではないでしょうか。種ものの値段は自由で、具材次第で値段が変わり、うどんといえば「鍋焼きうどん」、蕎麦といえば「天ぷら蕎麦」は自由に値段を決められる中でも最も値段が高く、上等とされていました。

 鍋焼きうどんはお品書きに書かれていませんが、お店によって、具材・値段は様々だったと考えられます。落語の中では、具材について具体的には語られていません。『うどん屋』『風邪うどん』で、鍋焼きうどんをすするシーンを観ながら、「どんな具が入っていたんだろう」なんて、想像をめぐらせるのも楽しいかもしれません。

用語解説
●『守貞謾稿(もりさだまんこう)』・・・喜田川守貞(きたがわもりさだ)著。起稿一八三七年、約三○年間書き続けて全三十五巻を成す。江戸時代後期の三都(江戸・大阪・京都)の風俗の違いを、千以上の挿絵を交えて詳細に記録している。

●卓袱料理(しっぽくりょうり)・・・長崎の郷土料理。皿に盛られたコース料理を、円卓を囲んで味わう形式をもつ。

 

第三題 江戸っ子は蕎麦、上方はうどん

日本地図とうどん

当時、江戸ではうどんより蕎麦の方が好んで食べられていたそうです。上方の『風邪うどん』を東京に持ってきた『うどん屋』には、うどん文化の地域性だけでなく、粋な江戸っ子の気質も描かれています。

 凍えるような寒い晩、「なーべーやーきーうどーん」の売り声に引き寄せられるかのように、千鳥足の酔っ払いがやってきます。散々長話を聞かせ、火鉢で暖をとり、挙句の果てには「俺は、うどんは嫌いだ」と、結局うどんは食べずじまい。うどん屋はがっかりです。

『守貞謾稿』に江戸と上方におけるうどんと蕎麦の関係が記されています。

”京坂は、温飩(うどん)を好む人多く、又、売る家も専之(これをもっぱら)とし、温飩屋と云也。然も、温飩屋にて、蕎麦も兼ね売る也。江戸は、蕎麦を好む人多く、商人も専とし、温飩は兼て沽(う)る也。故に、蕎麦屋と云”

【出典】『守貞謾稿(もりさだまんこう) 』喜田川守貞 著 

「京都・大阪はうどんを好む人が多く、江戸は蕎麦を好む人が多い」と、確かに紹介されており、『うどん屋』の台詞にも反映されています。「上方はうどん、江戸は蕎麦」といった、地域性を含んだ食文化は、江戸と上方で違う発展を遂げてきた落語にも影響を与えているのではないでしょうか。

 「粋なこと=カッコいいことをしたい」というのが江戸っ子の性分と分かっていると、この『うどん屋』のワンシーンがちょっと違った解釈もでき、面白みも増します。江戸っ子のいう粋とは、いわゆる痩せ我慢や見栄を張ることです。凍えるような寒い晩には、「うどん、あんなメメズ(みみず)みたいなもん食えるか」なんて言っている江戸っ子の心でさえも、アッツアツの鍋焼きうどんに惹きつけられたに違いありません。本当は食べたいにも関わらず、痩せ我慢が「俺は、うどんは嫌いだ」と言わせたのだと解釈すると、なんだか可愛らしくも思えてきませんか?この背景には鍋焼きうどんの温かさが、寒い夜、いかに往来の人々の心を捉えてやまなかったかということをも表しているのではないでしょうか。落語には、人間味あふれる登場人物の姿がいきいきと描かれています。その気持ちや生き様に寄り添ってみることも、落語の楽しみ方の一つといえるでしょう。

 

第四題 火元はうどん屋?

焚き火

「うどんやお前はいい商売だなぁ。この寒い夜中に、あの、暖かい火鉢もって歩いて往来のものがどれだけありがてぇかわからねぇ」

当時の夜鳴きうどんは、担ぎ屋台スタイルで、移動販売がもっぱらでした。食材、食器、調理器具のほか火鉢まで積んでいるのだから、歩くのは大変だったでしょう。火はいちいち起こしていられないから種火をとっておき、ここって決めたところに店を構え、火を起こすのです。当時木炭は貴重だったため、炭団(たどん)という炭の粉を丸めて作ったリサイクル燃料も使っていたと思われます。火力はそれほど強くないが火持ちが良いため、屋台での調理に向いていました。

 庶民が屋台に暖を求める寒い夜。酔っ払いもその一人です。そんな中、酔っ払いがうどん屋にこんな悪口を言っています。

「この辺近頃ボヤがあるのは、てめぇんところが火元じゃねぇのか」

「火事と喧嘩は江戸の華」なんてことを言いますが、江戸の町は火事が絶えなかったそうです。うどん屋の火の始末が悪く、ぼーっと燃え出しちゃったなんてことは本当にあったかもしれません。防火のためにうどんや蕎麦など火を使う屋台を禁止する御触書が出されたこともあったようですが、うどん屋や蕎麦屋が江戸の町からなくなることはありませんでした。それは「早くて安い」屋台が庶民の暮らしに欠かせないものになっていたからに違いありません。

用語解説
●炭団(たどん)・・・炭の粉末をつなぎと混ぜ合わせ団子状に丸め乾燥させた燃料。真っ黒な球状。火持ちが良いため、火鉢や煮込み料理に向いていた。

●火事と喧嘩は江戸の華・・・江戸は大火事が多くて火消しの働きぶりが華々しかったことと、江戸っ子は気が早いため派手な喧嘩が多かったことをいった言葉。

 

第五題 お客の声の大きさで売り上げを予測する?

商売というものは、大きな声で呼ばれるより、小さな声の方が都合がいいなんてことをいいます。小声で呼ばれる時は、思いがけない儲け話なんてこともあったそうです。小声は誰かに知られてはいけないことをやっているに違いないから、そこには儲け話が転がっているという訳です。

 やっと酔っ払いから解放されたうどん屋、今日は散々だなと表通りに移動すると、どこからか小さな声が聞こえてきます。

客「うどーんやさーん(小声)」

ここで、あれこれうどん屋は妄想をふくらませます。

”小声ってことは、親孝行しているわけじゃない。若い男が何人か集まって博打でもやっているんだろう。博打場では、食いもんにも見栄を張る。しけたもん食ってやがるなんて言われちゃうから、かけうどんなんか頼めない。きっと、鍋焼きうどんでも食べようって話だな。これは総仕舞いになるぞ・・・”
うどん屋「はーい…(小声)」

商売のコツは、小声には小声が鉄則。高鳴る気持ちを抑えて、小声でお客の相手をします。しかし、期待とは裏腹に、出てきたのは小僧がたった一人。

うどん屋「へい、おいくつで(小声)」
客「一つ(小声)」

総仕舞いどころか、たった一杯でがっかり。だが、すぐに思い直して、「いやいや、これは試しに一杯だけ食べてみて、よかったら追加をしようというのに違いない」と、お客が次にどんな行動に出るか、息を呑んでうどんをすする様子を見つめますが、一杯だけでお勘定。

客「うどん屋さ~ん(小声)」
うどん屋「へ~ぃ(小声)」

…追加注文があるのかと期待をしたが…

客「おまえも風邪ひいたんかい?」

小声は、ただの風邪っぴきだったって訳です。うどん屋の嬉々とした気持ちを、「おまえも風邪ひいたんかい?」と、想定外なひと言で一気に落胆させる、あざやかなオチです。うどん屋の「博打=見栄を張る=鍋焼きうどん」という妄想とは裏腹に、実際は小僧が一人ぼっちで、しかも注文は鍋焼きうどんではなくかけうどんだったなんて、それはがっかりです。

 このうどん屋の妄想は、落語家の口で事細かに語られるのではなく、小声の「うどーんやさーん」から、うどん屋が妄想しそうなことを、聞き手が想像をめぐらせるのです。「小声は儲け話」「博打場は見栄の場」「鍋焼きうどんが一番上等」という背景が分かっていれば、それだけ想像がふくらみます。この背景を分かって噺を聴くのと、そうでないのとでは、噺の厚みがだいぶ違ってくるといえるのではないでしょうか。

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