夏本番を目の前にし、冷や奴のおいしい季節ということで、「心染通信」第一号を飾るテーマは『豆腐』です。
豆腐は、遣唐使によって日本に伝えられたともいわれ、まずは精進料理として用いられた、お坊さんの食べものでした。その後、貴族社会や武家社会に伝わり、江戸時代中期頃には、庶民の食べものとして広く普及しました。
いかに豆腐が庶民の生活に身近な食べものとして親しまれていたかを、「豆腐」が登場する『甲府い』『鹿政談』『徂徠豆腐』『酢豆腐』『味噌蔵』の五つの落語を紐解きながら、解説します。
甲府い(こうふい)
豆腐屋の伝吉
私が子どもの頃、少なくとも戦前の昭和十年代までは、近所に豆腐売りが来ていました。
ラッパの音と、「とうふ~ぃ、とうふ~ぃ」という売り声を懐かしく思い出します。豆腐屋の売り声をメインテーマにした落語に、『甲府い』という噺があります。甲府から出てきた伝吉という男が、空腹のあまり店先のおからを盗み食いしたところを店の者に見つかってしまいます。訳を聞くと、財布をすられ 一文無し。哀れに思った主人は豆腐屋で雇うことにしました。伝吉は精を出して働き、そんな伝吉を主人夫婦は大層気に入り、娘の婿となって暮らすお話です。
”とうふーぃ、ごまいりー、がんもどきー…”
伝吉の売り声です。江戸時代の豆腐屋は、「棒手振り(ぼてふり)」といって、豆腐を水に浮かせた平たい木桶を、天秤棒で担いで売り歩く、いわゆる行商スタイルがメインでした。その頃の行商人は、「一色商い(ひといろあきない)」といって、食材や生活雑貨など、一つの品物を専売するのが主流で、売りものによって言葉や抑揚など様々な売り声を上げながら、町なかを売り歩いていました。豆腐売りのおじさんに「何にして食べる?」と聞かれ、「冷や奴」と言えば奴切りに、「御御御付け(おみおつけ)」と言えばさいの目に切ってくれました。そこまでがサービスの一環でした。
”先々の、時計になれや、小商人(こあきうど)”
「あの豆腐屋さんが来たから○○時だ」と、町の時計代わりになって初めて一人前の商人だという意味の川柳です。伝吉もこの川柳の心がけで、豆腐屋は大繁盛。故郷を出るときに願をかけた、その願ほどきに甲府へ出かける旅姿の伝吉を見た長屋の連中が、「豆腐やさん、どちらへ?」すると、いつもの売り声の節で…。
”甲府ーぃ、お参りー、願ほどきー…”
落語は、「オチ」の解釈を聞き手に考えさせるところも面白さですよね。
用語解説
●棒手振り・・・天秤棒を担いで、野菜や魚、豆腐などの商品を売り歩く行商人のこと。
●御御御付け・・・お味噌汁のこと。「おつけ」とも。
●願ほどき・・・神仏にかけた願がかなって、お礼参りをすること。
鹿政談(しかせいだん)
豆腐屋さんは町一番の早起き
豆腐は朝食に欠かせない食材のため、必然的に豆腐屋は早起きだったわけです。
『鹿政談』に登場する豆腐屋与兵衛は、ある朝店先のきらず(おから)を食べていた鹿を犬と間違え、薪を投げつけ殺してしまいました。当時は鹿を殺せば即死罪。お奉行所へ引き出されますが、正直者で通る与兵衛を何とか助けようとする名奉行の慈悲深いお裁きにより、命拾いをするというお話です。「奈良」「鹿」「きらず(おから)」の三つが、『鹿政談』のキーワードです。枕の部分では、日本各地の名物が江戸、京都、大阪と続いて話題にされ、最後に奈良名物の話になります。
”大仏に鹿の巻筆(しかのまきふで) 霰(あられ)酒 春日灯篭に 町の早起き”
奈良の大仏から、春日灯篭までは実際にある奈良名物ですが、最後に「町の早起き」が奈良の名物として挙げられているのは何故でしょうか。奈良には御神鹿(ごしんろく)といって、春日大社の使いとして鹿を大事にする風習があり、鹿を殺すと罰せられるほどでした。朝なんらかの理由で鹿が庭先で死んでいるのを見つけると、「隣はまだ寝ているから」なんて、押しつけられちゃァ堪らないというんで、奈良の町全体が早起きになっちゃったという訳です。「そんな奈良の町で、一番の早起きは豆腐屋です。」と、枕から本題へ導入するのです。豆腐屋は辺りがまだ薄暗い頃から起き出し、朝食に間に合うように、朝作った豆腐を朝に売る。昔は町一番の早起きの豆腐屋さんがいたからこそ、朝食に温かい味噌汁が飲めていたって訳ですね。
ちなみに、キーワード三つ目の「きらず(おから)」はオチの鍵を握っています。
奉行「与兵衛待て、その方、商売は豆腐屋じゃの」
与兵衛「はい」
奉行「斬らず(きらず)にやる」
与兵衛「はぁー、マメ(健在)で帰ります」
与兵衛が豆腐屋であったことから、「きらず(おから)」「マメ(大豆)」とかけた、シャレです。ちなみに、おからの「カラ」はゲンが悪いとされ、関東では「卯の花」と、また、包丁で切らずに食べられることから関西では「きらず」と言いました。
用語解説
●大仏に、鹿の巻筆(しかのまきふで)、霰(あられ) 酒、春日灯篭に、町の早起き
・・・奈良の名物を集めてつくられた歌。
大仏「東大寺の大仏」 鹿の巻筆「奈良の伝統工芸品。鹿の毛でつくられた毛筆のこと」
霰酒 「近世日本で流行った奈良の酒。非常に甘く口当たりがよいものだったようだ」
春日灯籠「奈良の春日大社に多くある灯籠」
徂徠豆腐(そらいどうふ) おからは庶民の救世主!?
豆腐を作る過程に必ずできるおから。しぼり粕として捨てられてしまうようなものですが、それでもなお、栄養価もあり、腹にたまる食べものとして、貧乏人の生活の支えになっていました。おからが裏長屋に住む貧乏学者の空腹を満たし、後に偉い学者へと出世させる『徂徠豆腐』という噺があります。江戸中期の儒学者・荻生徂徠のエピソードで、その出世は、人情に厚い豆腐屋七兵衛さんの支えがあってのことだったというお話です。
一丁の豆腐をペロリと食べて代金の四文が無いから、明日まとめて払うと言う
翌日も同じようにペロリと食べてツケにした
徂徠は豆腐を買う四文の銭(ぜに)もありませんでしたが、七兵衛さんは出世払いでよいと言い、豆腐やおからなどの差し入れもしてあげました。幕末の頃「豆腐一丁=四文」が相場であったと、『値段の風俗史』という本に記されています。
当時の四文は、ざっと今の百円に相当すると計算できます。豆腐一パック百円と考えれば、だいたい今の相場と合っていますよね。昔は七兵衛さんのような、困っている人を見ると助けずにはいられないという人が、近所に必ず一人や二人はいたんですね。困った時はお互い様、それが長屋の人情の大元なんでしょう。
用語解説
●荻生徂徠(おぎゅうそらい)・・・実在した江戸中期の儒学者。落語では苦節しながらも、最終的に幕府御抱えの学者になる様子が描かれている。
●『値段の(明治大正昭和)風俗史』・・・ 週刊朝日編。朝日新聞社出版。
酢豆腐(すどうふ)
その日に買って、その日に食べるが鉄則
豆腐が主役である落語で有名なのは、『酢豆腐』です。上方落語でいう『ちりとてちん』といえば、ご存知の方もいるかもしれませんね。
男連中が集まって一杯やろうという話になったが、酒はあるが肴がない。そこで、昨夜豆腐を買ってあったことを思い出したものの、暑気のさなかに、鼠入らずにしまっておいたせいで、せっかくの豆腐がすっかり腐っていました。
”なんか酸っぱいにおいがする
あー、黄色くなっちゃった。ずいぶん毛が生えた”
ここで、腐って酸っぱくなってしまった豆腐を、近くを通りかかった気取り屋の若旦那に、あなたは食通だとおだてて食べさせてしまうところが、いかにも落語らしい面白さです。落語には、気取り屋、知ったかぶり、おっちょこちょいなど、私たちの身の回りに一人はいそうな人物がよく登場しますね。冷蔵庫などない江戸時代、食べものを腐らせないための知恵は、「その日買ったものは、その日に食べる。」これが鉄則です。そんな時代背景を考えれば、昨夜に買っておいた豆腐を酒の肴にしようなんて考えること自体、そもそも野暮の骨頂でしょう。ましてや、夏の暑い時期に、密閉された鼠入らずにしまっておいては、腐るのも当然です。
用語解説
●鼠入らず・・・鼠が入らないようにつくられた頑丈な戸棚。
味噌蔵(みそぐら)
季節を楽しむ
昔から食べものそれぞれの「旬」により、季節の移り変わりを感じることができるのは、日本に生まれ育った有り難さの一つです。一方、豆腐は一年中食べられる食材です。だからこそ、食べ方を変えることで季節感を生み出す訳です。冷や奴といえば夏、湯豆腐は冬。
春を感じさせる豆腐料理として、『味噌蔵』という噺に「木の芽田楽」が登場します。
番頭「木の芽田楽、まだちょいと時期が早いんじゃないか?どっか、商いしてますか?」
小僧「それがあの、角のカラ屋さんに『田楽あり』って出てんです」
『味噌蔵』という噺は、ドケチな味噌屋の主人の留守中、これはチャンスだと番頭が勘定をごまかし、ご馳走を食べ放題のドンちゃん騒ぎ。普段の倹約生活の鬱憤を発散しようとするお話です。番頭は、豆腐屋に木の芽田楽をどんどん届けさせます。木の芽田楽とは、木の芽味噌を豆腐に塗り火で焼く料理です。田楽といえば、寒さをしのぐ冬の食べものですが、木の芽田楽は春の訪れを知らせる食べものです。豆腐は一年中食べられる食材だからこそ、調理方法を工夫することによって、季節感を楽しんでいたようです。
素材として味がシンプルで、調理方法によって変幻自在な豆腐は、庶民に大変親しまれた身近な食べものだったからこそ、庶民の暮らしを描く落語にも多数登場するのでしょう。
用語解説
●カラ屋さん・・・この店の小僧は、いつもおからばかり買いに行かされるので、豆腐屋ではなく「カラ屋」だとばかり思っている。